2016年06月08日

広島平和記念資料館がオバマ大統領の折り鶴を芳名録のメッセージとともに一般公開 6月9日から8月31日→来年1月31日まで延期

最初に、広島平和記念資料館公式サイト内にある、
「オバマ大統領が記したメッセージと広島市に贈られた折り鶴を展示します」
のPDFファイル(2016.6.8更新)(こちらをクリック)および、
「オバマ大統領の広島訪問関連展示(メッセージ・折り鶴・写真パネル)の
展示期間を延長します」

のPDFファイル(2016.8.24更新)(こちらをクリック)をご覧ください。

5月27日に実現したバラク・オバマ米大統領の広島訪問は世界中にテレビ中継され、
大勢の市民の方々が大統領の車列を大きな歓声とともに迎える様子も伝えられました。
当店「しゃしんのポップ」にはあいにくテレビはないのですが、
私は自分のスマホでNHKのインターネット中継を視聴することができました。

当初、広島平和記念公園での慰霊碑への献花の後、オバマ大統領のスピーチは
数分程度の所感表明になると報じられていました。
それが、当日のお話しは冒頭から、長い歴史物語の幕開けを予感させるものでした。
その表現の深さ、内容の重さにさまざまなことを考え、想いを巡らせているうちに、
気が付けば20分近い時間が経っていました。

オバマ大統領は、ご自身が特に情熱を注いで研究してこられた専門分野のひとつ、
『アメリカ独立宣言』の前文から基本的人権を宣言した部分にふれ、
「人類は全て、創造主によって平等につくられ、生きること、自由、
そして幸福を追求することを含む、奪うことのできない権利を与えられている」
と要旨を説明し、「追求すべき理想であり、大陸と海をまたぐ理想だ」と述べられました。
あわせて、「今日、この都市の子どもたちは平和の中で日々を生きていくだろう。
なんと貴重なことだろうか。そのことは守る価値があり、そして全ての子どもたちに
広げる価値がある」と、全世界に向けて広島の地から説いてくださいました。
それは私たち日本人に、平和の担い手としての自覚を促すメッセージでもありました。
大きな宿題をいただいたと感じました。

オバマ大統領は法務博士でもあり、政治家になる前はシカゴ大学の法学フェローとして、
同大学の合衆国憲法(現在ある世界最古の成文憲法として知られています)の講義を
担当されていたこともあるそうです。
所感どころか、とても勉強になる出張講座を聞かせていただけたと、嬉しくなりました。

お話しの中で、次の部分は私にとっても内心いろいろと反省させられるものがありました。

「気高い名目のため暴力を正当化することはどれほど容易か」
「われわれは過去の過ちを繰り返す遺伝子によって縛られてはいない」
「われわれは学ぶことができる」
「われわれは選択することができる」

広く普遍的な教訓に富むメッセージだと考えさせられました。

 出典)
 東京新聞:オバマ大統領の広島演説(邦訳は共同通信)
 ヒロシマからオバマ大統領へ|NHK NEWS WEB

オバマ大統領は広島訪問の前、NHKの単独インタビューに応じ、
「メッセージに謝罪は含まれますか?」との問いに対し謙虚に、かつストイックに
こう返答されています。
「(第2次世界大戦末期の米国による広島、長崎への原爆投下についての謝罪は)含まれ
ません。戦争のさなかに指導者はあらゆる決定を下すということを忘れてはなりません。
それについて、疑問を呈し、検証するのは歴史家の仕事です」
〔中略〕
「人々が戦争でひどく苦しんだという事実を強調し、平和と外交を重視するかたちで、
人間らしい対応と制度を進化させていく必要があるということを強調したいと思います」
(「歴史家の仕事です」とは「歴史家の丹念な検証を待つべき」という意味でしょう。)

広島平和記念公園ではスピーチの後、
オバマ大統領が二人の原爆被爆体験者の方々と初めて言葉を交わす場面がありました。
一人は長年、子供たちに平和について教えてこられた元中学校教師の坪井直さん。
もう一人は広島で被爆死した米兵捕虜の調査を地道に続けてこられた歴史家の森重昭さん。
初対面ではあっても、同じ教育者、研究者として、志を同じくする者だからこそ、
短い会話の中にもお互いに心から通じ合えるものを見出せたのでしょう。
そこには笑いもあり、涙もあったのです。
それぞれ人知れず重ねられてきた苦労が、やっと報われた瞬間だったのではないでしょうか。

今回のオバマ大統領の広島訪問には、
米国大統領副補佐官でオバマ大統領の外交政策スピーチライターも勤める
ベン・ローズさんも同行されていました。
1977年生まれの若く多感な才能のある方で、
小説家を目指してニューヨーク大学の美術学修士課程で文芸を専攻していた当時、
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロで世界貿易センタービルの崩壊を目の当たりにし、
国際政治の分野へ転向する決意をされたのだそうです。

報道によると、広島平和記念公園でのスピーチの原稿も、
オバマ大統領とローズさんが何度も打ち合わせをし、日米双方の関係者との間で取材を重ね、
時間をかけて推敲し用意されたものだそうです。
ところが、ローズさんの証言によると、
米国を発ってからもなお、足りないと感じられた部分への加筆修正が続けられ、
お二人が搭乗したヘリが広島上空にさしかかるとまたさらに手が加えられたということです。
最終的には本番直前まで、大統領ご自身の心の中で推敲は続けられていたそうです。

ワシントンで6月6日、核兵器廃絶への取り組みについて考えるシンポジウムが開かれ、
公演のため出席したローズさんは記者団に、5月27日の広島への慰霊の旅について、
「広島を訪問するべきかどうか議論があったが、間違いなく正しい行動だった」
と答えられました。そして、
「オバマ大統領は、その場に立たなければ想像することができなかったであろう
被爆地の歴史の重みを感じていた。沿道で大勢の人に迎えられるとともに、
大統領が献花した花輪を見るために多くの人が平和公園を訪れたと聞き大変感動的だった」
と語られたそうです。
街の大きさ、人々の生活、平和記念資料館が用意したさまざまな遺品、慰霊碑、原爆ドーム。
実際に訪れてその場に立つことが大切だということには、学生時代から核兵器廃絶に関心を
寄せ、何をすべきか探求し続けてきた方が言葉にするだけに、非常に強い説得力を感じます。

本当に、これまでしてきたこと、これから成すべきことの意味がしっかりと確かめられた旅を、
お二人ともなされたのだなと、私には感じられました。

私は30年ほど前に大学のクラブ(※)の合宿で長崎原爆資料館を見学したのですが、
そのときの印象が強すぎて、広島訪問や平和記念資料館の見学はずっとためらっていました。
しかしオバマ大統領のスピーチを聞いて、やはり行かないわけにはいかないという気持ちが
次第に高まってきました。戦争の犠牲になられた方々を追悼し、真実を知ろうと。
(※日本大学芸術学部文化部連盟、旅の会“群”というクラブです。)

同じようにオバマ大統領のスピーチを聞いて決心し、
その翌日に71年ぶりで広島へもどることができたという方のお話しも、報道で知りました。
お身内を亡くされた悲惨な体験を思い出すのが辛く、広島へもどれずにいたのだそうです。

広島平和記念資料館は6月9日から8月31日来年1月31日まで延期の予定で、
寄贈されたオバマ大統領の手作りの折り鶴と芳名録のメッセージを一般公開するという
ニュースが昨日、テレビやネット上で流れました。
被爆10年後に放射能による白血病で亡くなられた佐々木禎子さん(当時12才)の、
回復への願いが叶うと信じて病床で折り続けて遺したという鶴の展示品を前に、
熱心に見学されたオバマ大統領から、自らの手で、
出迎えた子供たちと資料館へ2羽ずつ渡されたものです。
2組の鶴はきっと、どちらもつがいの鶴を表しているのでしょう。

それぞれの鶴の家族の雛たちが健やかに育ち、やがてお互いに結ばれ、
いつか千羽鶴となって平和の祈りを乗せて世界へと羽ばたいていく。
人類が核兵器に頼らなくても済む日は、そう遠くない未来に訪れると信じています。

(よろしければ当ブログの2016年6月29日付記事も、あわせてご覧ください。)
posted by 安瑠芭夢家 しゃしんのポップ at 07:58| 旅のヒント