2024年01月05日

【超仕事人 プロの流儀】続々続々 ・ 仕事について 生きることについて 写真家の篠山紀信先生のご生前のご活躍を偲び、謹んで哀悼の意を表します

  【超仕事人 プロの流儀】
  続々続々 ・ 仕事について 生きることについて
  写真家の篠山紀信先生のご生前のご活躍を偲び、
  謹んで哀悼の意を表します

昨日の2024年1月4日に写真家の篠山紀信先生がお亡くなりになられたことが
今朝、各メディアを通じて一斉に報じられました。先生のご生前のご活躍を偲び、
ここに謹んで哀悼の意を表したいと思います。たくさんの夢を私たち後輩に残して
くださり、本当にどうもありがとうございました。心からお礼を申し上げます。

 写真家 篠山紀信先生

どうぞ安らかにお眠りください。

▽『Yahoo!ニュース』 2024年1月5日 8:42 付配信
 スクリーンショットは2024年1月5日 10:50 現在のものです。
 写真家の篠山紀信さん死去 83歳
 「激写」の流行語 ヌード写真集ブーム牽引(産経新聞)
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 (c)Yahoo!ニュース / 産経新聞

 関連ニュース)
  『Yahoo!ニュース』 2024年1月5日 8:42 付配信
  写真家の篠山紀信さん死去 83歳
  「激写」の流行語 ヌード写真集ブーム牽引(産経新聞)
  (こちらをクリック)
 「激写」という流行語を作るなど写真界の第一線で活躍してきた写真家、篠山紀信(しのやま・きしん、本名=みちのぶ)さんが4日、死去した。83歳だった。
 東京都出身。日本大学芸術学部写真学科在学中に広告制作プロダクションに入社。新進写真家として頭角を現し、数々の賞を受賞した。昭和43年からフリーに。広告から肖像、芸術的表現までジャンルを問わずに幅広く活躍。45年、作家の三島由紀夫さんに依頼され、自決直前の姿を撮影した。
 1970年代に女性のグラビア撮影で使い始めた「激写」は流行語になった。「週刊朝日」などの雑誌の表紙写真や巻頭特集を数多く担当した。落語や歌舞伎の撮影も長年に渡って継続した。
 時代を象徴する人物や場面を逃さずに撮り続けてきた。刊行した写真集などは300冊を超える。
 平成3年には樋口可南子さんの写真集「water fruit」や宮沢りえさんの写真集「Santa Fe」を刊行し、女優のヌード写真集ブームを牽引した。
 複数のカメラで撮影する「シノラマ」など新しい表現も切り開いた。ジョン・レノンの遺作「ダブル・ファンタジー」のジャケットを撮影したことでも知られる。赤塚不二夫の漫画「天才バカボン」にカメラ小僧「篠山紀信君」として登場する。令和2年菊池寛賞。
 妻は元歌手の南沙織さん。次男は俳優の篠山輝信さん。

出典)上記、『Yahoo!ニュース』 2024年1月5日 8:42 付配信より

▽『AERA dot. (アエラドット)』 (公式) 「篠山紀信」に関する記事一覧(こちら
 スクリーンショットは2024年1月5日 10:31〜10:44 現在のものです。
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▽山口百恵さん(『週刊朝日』 1978年5月12日号の表紙)と、ご自身の表紙を持つ
 宮崎美子さん(『週刊朝日』 2021年1月15日号の表紙)。篠山紀信先生が撮影。
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 (c)朝日新聞出版

 関連リンク)
  『AERA dot. (アエラドット)』 (公式)
  「篠山紀信」に関する記事一覧 (こちらをクリック)

▽『Yahoo!ニュース』 2024年1月5日 8:41 付配信
 スクリーンショットは2024年1月5日 13:50 現在のものです。
 【追悼】篠山紀信さん 写真家60年の集大成
 「欲望を満たすために、写真を使ってきた」 3/1ページ目 (AERA dot.)
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▽【追悼】篠山紀信さん 写真家60年の集大成
 「欲望を満たすために、写真を使ってきた」 3/2ページ目 (AERA dot.)
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▽【追悼】篠山紀信さん 写真家60年の集大成
 「欲望を満たすために、写真を使ってきた」 3/3ページ目 (AERA dot.)
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 (c)Yahoo!ニュース / 朝日新聞出版

 関連ニュース)
  『Yahoo!ニュース』 2024年1月5日 8:41 付配信
  【追悼】篠山紀信さん 写真家60年の集大成
  「欲望を満たすために、写真を使ってきた」(AERA dot.)
  (こちらをクリック)
 写真家の篠山紀信さんが4日、亡くなった。83歳だった。人物、建築、美術など被写体のジャンルは多様で、作品の数々は世界で知られる。1978年から97年の約20年間、雑誌文化が盛り上がっていた時代の週刊朝日の表紙も撮り続けた。篠山さんを偲び、2021年5月31日の記事を再配信する。(年齢、肩書等は当時)

* * *

 写真家・篠山紀信さんの集大成といえる作品展「新・晴れた日」が6月1日から東京・恵比寿の東京都写真美術館で開催される。篠山さんに聞いた。
 インタビューをお願いしたものの、困った。
 というのも、ほかの写真家と違って、篠山さんの場合、撮影対象があまりにもばらばらで、どう話を聞けばいいのか、うまく思い描けなかったのだ。ところが、そう思っていたのは私だけではなかったらしい。
 開口一番、篠山さん本人が「今回は60年間の写真を展示するわけだから、もうテーマがばらばら。おそらく世界中、こんな展覧会はほかにないんじゃないかな」と言うのだ。

■「写真の墓場」でどうですか?

 さらに、「まあ、なんていうか……作品の死体置き場というかね。美術館というのはだいたいそう言われるんですよ。写真というのは、生き生きしていないとダメだ、という感じじゃない? ところがそれを、わざわざ写真の美術館でやるというのは、写真の死体を並べて見るみたいで嫌だな、と。ははは。若気の至りというか、昔、そういうことを平気で言っていた。そういうやつが東京都写真美術館で写真展をやるのは、相当、批判されるんじゃねえかな、と」。
 1940年生まれの80歳。でも、昔からちっとも変わらないというか、いつもの篠山節が全開だ。

写真家・篠山紀信さん
 「まあ、篠山も歳をとって、ちょうどいいから 『写真の墓場』 だなと。ははは。そういうことですよ」

 この話、最初は冗談だと思って聞いていたのだが、真顔で東京都写真美術館の担当者に提案したらしい。

写真家・篠山紀信さん
 「で、『写真の墓場』 というタイトルでどうですか? って言ったら、『いやー、それはちょっと』 って」

 それはそうだろう。担当者の困りきった顔が目に浮かぶ。

写真家・篠山紀信さん
 「ぼくは、写真をバカにしているわけでもないし、本気で、そういうことじゃないんですかね、と提案したんです」

 しかし、やんわりと断られてしまい、どんなコンセプトで写真展を開催するか、考えた。

■「もう何でも撮っちゃう」

 そこで思い浮かんだのは『晴れた日』(平凡社)という古い写真集だった。黒い本のカバーには「破天荒な試み。かつてない写真集 遂に成る」と、大きな文字が躍っている。
 この写真集はもともと74年に「アサヒグラフ」に連載された「篠山紀信を本誌特派 しのやまきしんのニュースページ」をまとめたもの。篠山さんは昔のファイルを引っ張り出すと、連載当時のページを開いて見せてくれた。出だしにはこうある。

 <篠山紀信です。新聞やテレビでニュースを見聞きするたびに、ああオレもあの現場に立ち会いたい思っていました。今週号から、しばらく、ニュースを追っかけて写真をとりまくります>(74年5月3日号)

 「毎週毎週、ありとあらゆる話題のテーマをピックアップして、撮って、提供していく」、この連載のコンセプトが「もう何でも撮っちゃう篠山紀信という写真家の性格がいちばん出ているんじゃないか、これで展覧会ができるんじゃないか」と、思った。

写真家・篠山紀信さん
 「つまり、これは半年間の連載ですけれど、同じように60年間のぼくの作品をピックアップして、並べれば篠山という写真家がよくわかるんじゃないか。そう提案したら、『まあ、墓場よりはいいんじゃないでしょうか』 ということで、今回の写真展タイトルが 『新・晴れた日』 に決まったわけ」

■まぎれもない時代のドキュメンタリー

 ファイルを手に取り、パラパラとめくると、いやー実に懐かしい。第一回は「参院選タレント候補図鑑」。

写真家・篠山紀信さん
 「黄色や赤のカラフルな背景紙を持って、いろいろなタレント候補のところに行って、特写させてもらったんですよ。選挙でほんとに忙しいときにね」

 その一人、青島幸男は涼しい笑顔でこう語っている。「参議院ていうのはね、野坂昭如とか大橋巨泉とか篠山紀信みたいのがいっぱいいてね、(中略)あなたも出ませんか」。
 連載タイトルを並べてみると、「モナリザ過美の罪」「『堀江マーメイド』 266日で地球ひと回り」「絶叫する 『青嵐会』」「財界総理 土光敏夫」「輪島功一のラストラウンド」「劇写愛と誠」「オノ・ヨーコからのメッセージ」「4番・サード・長嶋」「ファントム襲う」、などなど。

写真家・篠山紀信さん
 「これはやっぱり、『時代のドキュメンタリー』 ですよ。グラフ雑誌がちゃんとあって、ある程度の部数が出ていたから、こんな連載を篠山にやらせてみようとか、無謀な考え方が出てくるんですよ」

 ちなみに、「アサヒグラフ」を出していた朝日新聞社の出版写真部員からは「あんな撮り方でいいのか?」と、相当文句が出たらしい。要するに「売れればいいのか、篠山の名前じゃないのか?」と。

写真家・篠山紀信さん
 「そういう批判って、必ず出るんですよ。ぼくの場合はね。批判は全部受けますけど。まあ、ふつうの人はこんなことを60年もやってられないでしょう。生きていけないですよ。食えなくなっちゃう。ははは」

■写真家の欲望を世間が許してくれた

 篠山さんが写真家の道を歩み始めた60年前、日本は敗戦から復興し、高度経済成長期の真っ只中にあった。
 「戦争でぼくの家もお寺(篠山さんは新宿区にある円照寺の住職の次男として生まれた)もまる焼けになりました。ほんとうに貧乏だったけれど、そこから立ち直って、日本が元気になっていく。いけいけドンドン、熱い時代だったんですよ。そこでね、写真家になろうなんて、間違った考えを起こして、ついついこんなに長くやっちゃった」と、ちゃめっ気たっぷりに語る。

「つまりそれは、『時代の波に乗ってきた』 ということですか?」とたずねると、即答で、「波に乗るというより、やっぱり、欲望の果てだから」と言う。

写真家・篠山紀信さん
 「結局、ぼくが写真家になった動機は何かというと、そういう自分のなかに渦巻いている欲望を見てみたい、近くに行って撮ってみたい、ということなんです。アートとして、芸術として撮ろうとか、思ってない」

 写真としての表現の前あるもの、それは「見たい」という欲望という。

写真家・篠山紀信さん
 「『見たい』 という目の欲望が体中にみなぎっていた。その欲望を満たすために写真を使う。ありとあらゆる写真の技法を使ってやる。そういう野心があった。ま、若かったからね」

 さらに、こうも言う。

写真家・篠山紀信さん
 「時代がさ、写真を受け入れてくれたんだよ。ほんとうに身勝手な写真家の欲望、撮りたいっていう欲望を世の中が許してくれた。やれ、やれと、世間があおっていた時代だもの

 そこで、声をひそめる。

写真家・篠山紀信さん
 「ところが、いま、みんな、『これはアブナイんじゃないですか?』 と言うんだから」

■被災地の風景に感じた美しさ

 今回の展示を締めくくる作品の一つ、「ATOKATA」を発表した際も周囲からこうくぎを刺された。

周囲:
 「この作品についてはあまりしゃべらないほうがいいですよ」

 写っているのは多くの写真家が訪れた東日本大震災直後の東北地方沿岸部。しかし、篠山さんのような視点で写した作品は見たことがない。

写真家・篠山紀信さん
 「当時はほんと、何にもわからず、現場に行ったんですよ。とにかく、見たことのない光景だった。初めは、撮ってもいいのかなとか、撮ることに意義があるのかな、と思ったり、おびえたり。でもね、結局、4回行くんです」

 何が篠山さんを引きつけたのか?
 「こんな言い方をすると、被災者に対して失礼な言い方かもしれませんけれど」と前置きしたうえでこう語った。

写真家・篠山紀信さん
 「なんか、すごい光景、というのを通り越してね、美しさというものを感じたんですよ。最初は無残で、残虐な風景だと思ったけれど、それがだんだんと、自然が自らを壊し、つくり出した新しい風景じゃないかって。こんなふうに自然は新しい世界をつくり上げていくんだなと」

 さらに、「現代美術の美術館の中を歩いているような気もした」。

写真家・篠山紀信さん
 「ほんとうにそうなんですよ。いや、現代美術の作家は負けているなと思った。こんなにすごいことできないじゃん、と」

 自然を畏怖する気持ちとともに、尊大ともいえる自然の力、偉大さを感じた。

写真家・篠山紀信さん
 「それを撮っておきたいな、と思って、シャッターを切ったのがこの作品。でも、褒めてくれた人はほとんどいませんよ。やっぱりね、社会の風潮には反するだろうし」

■「家宅捜索に入られたりもしますよ」

 そこで思い出したのが以前、同行取材した際、東京都写真美術館の前でヌードを撮る篠山さんの姿だった。周囲の目が気になり、ヒヤヒヤした。
 そんな思い出話をすると、「もちろん、法に触れるということとか、それを破るとか、そういうことは目的にはやっていませんよ」と話す一方、「ここまでだったら許してくれるだろうとか、見逃してよ、とか、どこかでそう思いながら、撮っていた」と漏らす。

写真家・篠山紀信さん
 「でもね、長いことやっていると、一度やそこらは家宅捜索に入られたりもしますよ。それはしょうがない。そういうときは謝る。罰金も払うの」

 そう言うと、顔をほころばせ、お茶をすすった。

写真家・篠山紀信さん
 「やっぱり、篠山というのは、時代が生んだ、変な写真家なんですよ

(文=アサヒカメラ・米倉昭仁)

米倉昭仁

出典)上記、『Yahoo!ニュース』 2024年1月5日 8:41 付配信より

▽『週刊朝日 - Wikipedia』
 スクリーンショットは2024年1月5日 17:12 現在のものです。
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 (c)Wikipedia

 関連リンク)
  『週刊朝日 - Wikipedia』 (こちらをクリック)
週刊朝日(刊行期間 1922年2月25日 - 2023年5月30日)

 『週刊朝日』(しゅうかんあさひ)は、朝日新聞出版(2008年3月までは朝日新聞社)発行の週刊誌。1922年に創刊され、『サンデー毎日』(毎日新聞出版)と並ぶ、日本の新聞社系老舗週刊誌。毎週火曜日発売。発行部数7万8,632部は 『週刊アサヒ芸能』(徳間書店、発行部数11万2,466部)に次いで業界第8位。

〔中略〕

休刊について
 2023年1月19日、朝日新聞出版は本誌を同年5月末で休刊にすることを発表した。
 朝日新聞出版によると、2022年12月現在、平均発行部数は74,125部であり、朝日新聞出版自体の業績は堅調だが、年々週刊誌市場が縮小していることを挙げている。今後は同じ朝日新聞出版が発行する週刊誌「AERA」とそのウェブ版である「AERA.dot(アエラドット)」の連携強化・ブランディング強化、並びに書籍部門に注力することにしたという。これに伴い、当雑誌の定期購読の新規申し込みも終了された。

〔後略〕

出典)上記、『週刊朝日 - Wikipedia』 より抜粋

▽『アサヒグラフ - Wikipedia』
 スクリーンショットは2024年1月5日 17:07 現在のものです。
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 (c)Wikipedia

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  『アサヒグラフ  - Wikipedia』 (こちらをクリック)
アサヒグラフ(刊行期間 1923年1月25日 - 2000年10月15日)

 『アサヒグラフ』 は、朝日新聞社が1923年(大正12年)から2000年(平成12年)まで刊行していた週刊グラフ誌(画報誌)である。

概要
 日本における写真誌の草分け的存在で、数々の歴史的な報道や、その時代に代表される世相や風俗の特集記事を多数掲載、資料的価値も高い。大正デモクラシーから、戦前、戦中、戦後、高度経済成長、オイルショック、バブル崩壊、そして21世紀の幕開けまで、77年間の長期にわたり刊行を続けた日本を代表するグラフ誌である。

歴史
 日本初の日刊写真新聞として1923年(大正12年)に創刊された。第1号は「1923年1月25日創刊号」。同年9月1日の関東大震災で臨時休刊し、同年11月14日号から週刊の画報誌として復刊した。
 創刊当初にはジョージ・マクマナス(英語版)によるアメリカの4コマ漫画 『ジッグズとマギー(英語版)』 の翻訳版が 『おやぢ教育』 のタイトルで連載されていた。当時数少なかった日本の漫画家らには、コマ割りやふきだしなど、漫画表現において多大な影響を与えた作品で、日本漫画の源流と考えられている。
 アサヒグラフではその後、少年漫画の源流である 『正チャンの冒険』 等の日本人の漫画を掲載した。 「1952年8月6日号」において、日本で初めて広島の原爆被害の写真を誌面に掲載し、話題になる。
 テレビ放送の開始後も、1970年代には10万部台の発行を誇った。1980年代以降は報道よりもカルチャーや人物紹介などに重点を置き、写真家の作品発表の場という一面も持っていた。
 2000年10月15日増刊号 『シドニー・オリンピック総集編』 をもって休刊。77年の歴史を終える。
 2010年代に入ると、朝日新聞社から出版部門を分社した朝日新聞出版から週刊朝日臨時増刊扱いで 『緊急復刊 アサヒグラフ』 が不定期に発行されている。

〔中略〕

月刊アサヒグラフ person

 『月刊アサヒグラフ person』(げっかんアサヒグラフ パーソン)は、2001年(平成13年)から2003年(平成15年)まで、朝日新聞社が刊行していた月刊誌。
 2001年3月23日(2001年5月号)創刊。「アサヒグラフ」の名前を冠しているものの報道色は薄く、芸能人へのインタビューを中心とした芸能グラビア雑誌となっていた。2003年4月号(2003年2月22日発売、通算24号)をもって休刊。

〔後略〕

出典)上記、『アサヒグラフ - Wikipedia』 より抜粋

▽『アサヒカメラ - Wikipedia』
 スクリーンショットは2024年1月5日 17:00 現在のものです。
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 (c)Wikipedia

 関連リンク)
   『アサヒカメラ - Wikipedia』 (こちらをクリック)
アサヒカメラ(刊行期間 1926年 - 2020年6月19日)

 『アサヒカメラ』 とは、朝日新聞出版(2008年3月までは朝日新聞社)から刊行されていたカメラ・写真に関する雑誌。

概要
 1926年に創刊。前年に開催された 『アサヒグラフ』 主催「ニエプス写真百年祭」で、アマチュア写真家団体の統一組織として全日本写真連盟の設立が提案され、その機関紙として企画された経緯がある。
 初代編集長は 『アサヒグラフ』 写真面を担当していた成沢玲川であり、成沢は写真家立木義浩の伯父にあたる。
 写真作品を紹介するページもあるが、鑑賞よりもむしろ「撮影」、すなわち写真機材や撮影技術の紹介に重点が置かれており、休刊までそのスタイルで一貫していた。
 第二次世界大戦中の1942年に一時休刊するも、戦後の1949年10月号から復刊した。復刊後の編集長は津村秀夫(7年間)。2018年現在の編集長は佐々木広人。
 長年にわたる部数低迷に加え、2020年には新型コロナウイルス感染症の流行の影響から広告収入が激減したことに伴い、発行を維持することが困難となり、同年6月19日発売の同年7月号を持って休刊することとなった。これにより現存する定期刊行の写真雑誌としては最古となる94年の歴史に幕を下ろした。今後は朝日新聞出版のニュースサイト「AERA dot.」で記事を配信するとともに、増刊やムックは発行を予定しているほか、木村伊兵衛写真賞は引き続き朝日新聞社・朝日新聞出版の共催で続けていくとしている。最終号の特集は「構図は名作に学べ!」であった。

〔後略〕

出典)上記、『アサヒカメラ - Wikipedia』 より抜粋

『アサヒグラフ』 などの月刊グラフ雑誌が職業としての写真家、フォトグラファーの社会
に対する認知度を高め、『週刊朝日』 のような週刊誌がそうした職業に従事するプロへ
さらに多くの仕事を提供することに貢献してきたことは疑う余地がありません。それらの
雑誌は企業や団体の有力な広告媒体でもあり、雑誌で活躍する写真家は同時に広告
写真家としても脚光を浴びるなど、いわゆる1つのビジネスモデルが確立していました。

ただ、肉筆の原稿や原画が後世に残されることの多い文章や漫画、イラスト等と異な
り写真は印刷所でオリジナルのフィルムから直接製版していた時代が長く、その保存
や返却の管理は残念なことに十分徹底されていたとは言えなかったようです。大切な
写真のオリジナルフィルムが紛失、汚損、変色などのトラブルで失われてしまう事故も
ときにはあったそうです。もっとも映画会社の保管庫の維持費不足や火災等で失われ
た映画フィルムの膨大な量に比べれば写真家の仕事は掲載物が読者や図書館など
の書棚に残されやすいので、その点でまだ恵まれていた方だと言えるかもしれません。

2023年4月28日付記事より再掲載
 日本大学藝術学部写真学科創立75周年記念
 『卒業生によるオリジナルプリント展』(2014年秋開催)の案内ハガキの写し。
 当店「安瑠芭夢驛 吉 川 写 真 店」のポストにも届きました。私の作品は無いです。
 左は篠山紀信先生の芸術写真 『THE BIRTH 誕生』(1968年)。不朽の名作です。
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 (c)篠山紀信 / 日本大学藝術学部写真学科

篠山紀信先生は特に雑誌や広告など印刷媒体でのご活躍で有名ですが、暗室内で
ご自身の手でフィルムを現像し、銀塩印画紙(感光紙)への焼付けを経て完成させる
オリジナルプリント作品も制作されています。黒白写真が主ですが、カラー写真より
黒白写真の方が現像処理やプリント作業に関する技術上の自由度が高く、かつ作品
そのものの保存性も高いと考えられていたからでもあります。先生の(私の)出身校
に収蔵されている上記の作品 『THE BIRTH 誕生』(1968年)もそのうちの1点です。

〔前略〕

 開口一番、篠山さん本人が「今回は60年間の写真を展示するわけだから、もうテーマがばらばら。おそらく世界中、こんな展覧会はほかにないんじゃないかな」と言うのだ。

■「写真の墓場」でどうですか?

 さらに、「まあ、なんていうか……作品の死体置き場というかね。美術館というのはだいたいそう言われるんですよ。写真というのは、生き生きしていないとダメだ、という感じじゃない? ところがそれを、わざわざ写真の美術館でやるというのは、写真の死体を並べて見るみたいで嫌だな、と。ははは。若気の至りというか、昔、そういうことを平気で言っていた。そういうやつが東京都写真美術館で写真展をやるのは、相当、批判されるんじゃねえかな、と」。
 1940年生まれの80歳。でも、昔からちっとも変わらないというか、いつもの篠山節が全開だ。

写真家・篠山紀信さん
 「まあ、篠山も歳をとって、ちょうどいいから 『写真の墓場』 だなと。ははは。そういうことですよ」

〔中略〕

(文=アサヒカメラ・米倉昭仁)

米倉昭仁

出典)
 『Yahoo!ニュース』 2024年1月5日 8:41 付配信(上記)
 【追悼】篠山紀信さん 写真家60年の集大成
 「欲望を満たすために、写真を使ってきた」(AERA dot.)
 (こちらをクリック)

 「激写」という流行語を作るなど写真界の第一線で活躍してきた写真家、篠山紀信(しのやま・きしん、本名=みちのぶ)さんが4日、死去した。83歳だった。

 〔中略〕

 複数のカメラで撮影する「シノラマ」など新しい表現も切り開いた。ジョン・レノンの遺作「ダブル・ファンタジー」のジャケットを撮影したことでも知られる。赤塚不二夫の漫画「天才バカボン」にカメラ小僧「篠山紀信君」として登場する。令和2年菊池寛賞。
 妻は元歌手の南沙織さん。次男は俳優の篠山輝信さん。

出典)
 『Yahoo!ニュース』 2024年1月5日 8:42 付配信(上記)
 スクリーンショットは2024年1月5 10:50 現在のものです。
 写真家の篠山紀信さん死去 83歳
 「激写」の流行語 ヌード写真集ブーム牽引(産経新聞)
 (こちらをクリック)

1970年代、まだ小学生だった私が初めて篠山紀信先生を知る機会を得たのが当時
『週刊 少年マガジン』(講談社刊)誌に連載中だった赤塚不二夫先生の漫画作品です。
私にとって篠山先生のイメージは今も、赤塚先生が描かれた「カメラ小僧」のままです。

2023年4月28日付記事より再掲載
 漫画家の赤塚不二夫先生が若き日の写真家の篠山紀信先生をモデルに描いた
 キャラクター「カメラ小僧」。アニメキャラとしての本格デビューはまだこれから?
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 (c)赤塚不二夫 / 篠山紀信

  関連リンク)
  『カメラ小僧 | 赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!』
   「モデルはかの篠山紀信さん? 生臭いつむじ風とともに高速回転で現れては
   決定的瞬間を狙う事件写真専門のカメラマン。目ン玉つながりのおまわりさん
   の天敵でもある。登場作品 『天才バカボン』。ほかの作品にも登場」
  https://www.koredeiinoda.net/manga/s_camerakozo.html

生臭いつむじ風とともに高速回転で現れては
決定的瞬間を狙う事件写真専門のカメラマン
   ↓
4Kや8Kで撮影した映像の動画ファイルから1コマを静止画ファイルとして切り出した
画像は約800万〜3300万画素に相当し鮮鋭な大サイズの写真プリントも可能です。
新聞社の報道写真用カメラも広告会社の街頭広告写真用カメラも現行機種は4Kや
8Kの動画撮影機能が連続録画時間制限はあるものの標準仕様で備わっています。
20年前、プロ用デジタルカメラの撮像用イメージセンサーは高画素と高感度とを両立
する上で動画撮影は発熱やバッテリー消耗等の問題が伴い動画機能搭載はまったく
不可能と考えられていました。写真機と言えばフィルムカメラしかなかった時代は尚更。
今はスマホ(スマートフォン)のカメラでさえ夜間でも4Kや8Kの動画撮影ができ、尚且
つ5G(第5世代移動通信システム)の通信環境で全世界にネット配信できる時代です。
写真撮影専業の写真家がプロカメラマンという職業として成り立ったのはもう昔話です。
雑誌等印刷媒体も企業や団体の広告がネットへ移り経営難から休刊が増えています。
最新号を求める人が深夜でも詰め掛けたコンビニの雑誌売り場は随分縮小されました。

誰もが高性能カメラ付きスマホ(スマートフォン)を携えるようになった2010年代以降、
誰もが「カメラ小僧」? になりうる時代になりました。同時に肖像権やプライバシー権、
著作権などに対する社会の関心もこれまで以上に高まりました。写真や動画の撮影、
ネット配信の際に迷惑行為や危険行為、公序良俗に反する行為にならないよう配慮
するのは当然の常識です。当店「安瑠芭夢驛 吉 川 写 真 店」もプロ意識に徹します。

▽『ANNnewsCH』 「YouTube」公式チャンネル
 2024年1月4日 PM 付公開のスクリーンショット。
 「早く出して」子どもの泣き声、叫び声も…CAが冷静に対応し脱出
 羽田衝突JAL機炎上【羽鳥慎一モーニングショー】(2024年1月4日)
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 (c)テレビ朝日

 関連動画リンク)
  『ANNnewsCH』 「YouTube」公式チャンネル
  2024年1月4日 PM 付公開
  「早く出して」子どもの泣き声、叫び声も…CAが冷静に対応し脱出
  羽田衝突JAL機炎上【羽鳥慎一モーニングショー】(2024年1月4日)
  https://www.youtube.com/watch?v=Cy7Psuhp_Uo&t=147s
 羽田空港で日本航空と海上保安庁の航空機が衝突した事故。海上保安庁の航空機の機長が滑走路への進入許可を受けたと説明していることが分かった。しかし、3日に国土交通省が公開した交信記録には、進入を許可した記録はなかったという。

■乗客乗員379人…子どもの泣き声や叫び声

 煙が入り込み、乗客の叫び声が響き渡る機内。窓の外には、炎がすぐそこまで迫っているのが確認できる。
 2日午後6時前に撮影された映像。滑走路が突然、赤く光った。
 新千歳空港から羽田空港に向かう日本航空機が、滑走路で海上保安庁の機体と衝突。機体は炎上し、煙も上がっている。
 その直後に撮影された写真。機体の前方には衝突したとみられる跡がある。この時、機内には乗客乗員379人が乗っていた。

乗客の子ども
 「早く出してください」

客室乗務員
 「鼻と口を覆って、姿勢を低くしてください」

乗客の子ども
 「開けてください」

客室乗務員
 「鼻と口を覆い、姿勢を低くしてください」

 子どもの泣き声や叫び声、そして客室乗務員の指示を出す声が入り混じり、機内は騒然としている。
 床にしゃがんでいる女性。さらに、その奥では座席に座っている乗客の男性が屈みながら、布のようなもので口と鼻を覆っている。

乗客の子ども
 「開けてくださいよ」

客室乗務員
 「鼻と口を覆い、姿勢を低くしてください」

 客室乗務員は乗客に指示を送りながら懐中電灯を取り出し、暗い機内の中を照らしながら移動していく。その先には赤ちゃんを抱っこしている女性の姿があった。赤ちゃんは泣きじゃくっている。
 すると、客室乗務員が手を伸ばして救急箱を取り出した。映像はここで終わる。

〔後略〕

(「羽鳥慎一 モーニングショー」2024年1月4日放送分より)

出典)上記、『ANNnewsCH』 2024年1月4日 PM 付公開より抜粋

▽『日テレNEWS』 「YouTube」公式チャンネル
 2024年1月4日 PM 付公開のスクリーンショット。
 【能登半島地震】発生から72時間経過 “懸命の救助活動”…
 不足する水と食料 暖をとることも困難な避難所も
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 (c)日本テレビ

 関連動画リンク)
  『日テレNEWS』 「YouTube」公式チャンネル
  2024年1月4日 PM 付公開
  【能登半島地震】発生から72時間経過 “懸命の救助活動”…
  不足する水と食料 暖をとることも困難な避難所も
  https://www.youtube.com/watch?v=8DkbH0kEgJo&t=176s
 4日、生存率が急激に下がるとされる72時間を超えました。今も各地では救助活動が続けられています。
 避難生活が長引くことも懸念されています。停電や断水が続く石川・輪島市の避難所には初めて給水車が到着。水は1人2リットルのペットボトル1本までと制限され、食べ物も足りていないといいます。避難所のなかには暖をとることも困難な場所もありました。

(2024年1月4日放送「news every.」より)

出典)上記、『日テレNEWS』 2024年1月4日 PM 付公開より抜粋

 関連記事)
  当ブログ『想い出を未来へ運ぶ始発駅*安瑠芭夢驛 吉 川 写 真 店』
  2024年1月1日付記事
  震災のお見舞いを申し上げます
  http://poppop.sblo.jp/article/190718585.html

〔前略〕

写真家・篠山紀信さん
 「そういう批判って、必ず出るんですよ。ぼくの場合はね。批判は全部受けますけど。まあ、ふつうの人はこんなことを60年もやってられないでしょう。生きていけないですよ。食えなくなっちゃう。ははは」

■写真家の欲望を世間が許してくれた

 篠山さんが写真家の道を歩み始めた60年前、日本は敗戦から復興し、高度経済成長期の真っ只中にあった。
 「戦争でぼくの家もお寺(篠山さんは新宿区にある円照寺の住職の次男として生まれた)もまる焼けになりました。ほんとうに貧乏だったけれど、そこから立ち直って、日本が元気になっていく。いけいけドンドン、熱い時代だったんですよ。そこでね、写真家になろうなんて、間違った考えを起こして、ついついこんなに長くやっちゃった」と、ちゃめっ気たっぷりに語る。

「つまりそれは、『時代の波に乗ってきた』 ということですか?」とたずねると、即答で、「波に乗るというより、やっぱり、欲望の果てだから」と言う。

写真家・篠山紀信さん
 「結局、ぼくが写真家になった動機は何かというと、そういう自分のなかに渦巻いている欲望を見てみたい、近くに行って撮ってみたい、ということなんです。アートとして、芸術として撮ろうとか、思ってない」

 写真としての表現の前あるもの、それは「見たい」という欲望という。

写真家・篠山紀信さん
 「『見たい』 という目の欲望が体中にみなぎっていた。その欲望を満たすために写真を使う。ありとあらゆる写真の技法を使ってやる。そういう野心があった。ま、若かったからね」

 さらに、こうも言う。

写真家・篠山紀信さん
 「時代がさ、写真を受け入れてくれたんだよ。ほんとうに身勝手な写真家の欲望、撮りたいっていう欲望を世の中が許してくれた。やれ、やれと、世間があおっていた時代だもの

 そこで、声をひそめる。

写真家・篠山紀信さん
 「ところが、いま、みんな、『これはアブナイんじゃないですか?』 と言うんだから」

■被災地の風景に感じた美しさ

 今回の展示を締めくくる作品の一つ、「ATOKATA」を発表した際も周囲からこうくぎを刺された。

周囲:
 「この作品についてはあまりしゃべらないほうがいいですよ」

 写っているのは多くの写真家が訪れた東日本大震災直後の東北地方沿岸部。しかし、篠山さんのような視点で写した作品は見たことがない。

写真家・篠山紀信さん
 「当時はほんと、何にもわからず、現場に行ったんですよ。とにかく、見たことのない光景だった。初めは、撮ってもいいのかなとか、撮ることに意義があるのかな、と思ったり、おびえたり。でもね、結局、4回行くんです」

 何が篠山さんを引きつけたのか?
 「こんな言い方をすると、被災者に対して失礼な言い方かもしれませんけれど」と前置きしたうえでこう語った。

写真家・篠山紀信さん
 「なんか、すごい光景、というのを通り越してね、美しさというものを感じたんですよ。最初は無残で、残虐な風景だと思ったけれど、それがだんだんと、自然が自らを壊し、つくり出した新しい風景じゃないかって。こんなふうに自然は新しい世界をつくり上げていくんだなと」

 さらに、「現代美術の美術館の中を歩いているような気もした」。

写真家・篠山紀信さん
 「ほんとうにそうなんですよ。いや、現代美術の作家は負けているなと思った。こんなにすごいことできないじゃん、と」

 自然を畏怖する気持ちとともに、尊大ともいえる自然の力、偉大さを感じた。

写真家・篠山紀信さん
 「それを撮っておきたいな、と思って、シャッターを切ったのがこの作品。でも、褒めてくれた人はほとんどいませんよ。やっぱりね、社会の風潮には反するだろうし」

■「家宅捜索に入られたりもしますよ」

 そこで思い出したのが以前、同行取材した際、東京都写真美術館の前でヌードを撮る篠山さんの姿だった。周囲の目が気になり、ヒヤヒヤした。
 そんな思い出話をすると、「もちろん、法に触れるということとか、それを破るとか、そういうことは目的にはやっていませんよ」と話す一方、「ここまでだったら許してくれるだろうとか、見逃してよ、とか、どこかでそう思いながら、撮っていた」と漏らす。

写真家・篠山紀信さん
 「でもね、長いことやっていると、一度やそこらは家宅捜索に入られたりもしますよ。それはしょうがない。そういうときは謝る。罰金も払うの」

 そう言うと、顔をほころばせ、お茶をすすった。

写真家・篠山紀信さん
 「やっぱり、篠山というのは、時代が生んだ、変な写真家なんですよ

(文=アサヒカメラ・米倉昭仁)

米倉昭仁

出典)
 『Yahoo!ニュース』 2024年1月5日 8:41 付配信(上記)
 【追悼】篠山紀信さん 写真家60年の集大成
 「欲望を満たすために、写真を使ってきた」(AERA dot.)
 (こちらをクリック)
   ↓
写真家・篠山紀信さん
 「時代がさ、写真を受け入れてくれたんだよ。ほんとうに身勝手な写真家の欲望、
撮りたいっていう欲望を世の中が許してくれた。やれ、やれと、世間があおっていた
時代だもの

〔中略〕
 「なんか、すごい光景、というのを通り越してね、美しさというものを感じたんですよ。
最初は無残で、残虐な風景だと思ったけれど、それがだんだんと、自然が自らを壊し、
つくり出した新しい風景じゃないか
って。こんなふうに自然は新しい世界をつくり上げ
ていくんだなと」
〔中略〕
 「やっぱり、篠山というのは、時代が生んだ、変な写真家なんですよ
(出典:上記、『Yahoo!ニュース』 2024年1月5日 8:41 付配信より抜粋)

私は、篠山紀信先生ほど謙虚な写真家はなかなかいらっしゃらないと思っています。
「カメラ小僧」の「小僧」には、お寺で修行中の僧侶と同じ意味が込められていたので
しょう(「生臭いつむじ風」の由来については推して知るべし)。カメラの修行が写真家
としての修行を意味していた幸せな時代だったのです。「カメラ小僧」の修行を生涯に
わたり続けて来られた篠山紀信先生のご冥福を、謹んでお祈り申し上げます。合掌。

 ご参考記事)
  当ブログ『想い出を未来へ運ぶ始発駅*安瑠芭夢驛 吉 川 写 真 店』
  2023年11月15日付記事
  【祝☆速報】
  帰って来た「PENTAX」のコンパクトデジタルカメラ!
  全天候アドベンチャーモデル「PENTAX WG-90」!
  〜お父さんの「PENTAX」よ永遠に〜
  【小型軽量高機能】

 ご参考記事)
  当ブログ『想い出を未来へ運ぶ始発駅*安瑠芭夢驛 吉 川 写 真 店』
  2023年7月31日付記事
  【「フィルムカメラ」で検索】
  新日本海新聞社さん発行の歴史ある地方紙 『大阪日日新聞』 が
  本日2023年7月31日付朝刊をもって休刊になりました

 ご参考記事)
  当ブログ『想い出を未来へ運ぶ始発駅*安瑠芭夢驛 吉 川 写 真 店』
  2023年4月28日付記事
  写真の未来について議論を起こすために応募した
  AI作成画像が有名写真コンテストで最優秀賞を獲得するも
  作者のボリス・エルダグセンさんは「AI作成画像は写真ではない」と辞退
  http://poppop.sblo.jp/article/190314129.html

 ご参考記事)
  当ブログ『想い出を未来へ運ぶ始発駅*安瑠芭夢驛 吉 川 写 真 店』
  2022年11月29日付記事
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posted by 安瑠芭夢驛(アルバムステーション) 吉 川 写 真 店 at 12:15| フォトライフ